ジャスティン・キーナン選手

秋田ノーザンハピネッツ超絶応援サイトにへご訪問ありがとうございます。サイト運営者の籠球(ろうきゅう)侍と申します。なんて言ってもスラムダンクの聖地秋田はバスケ王国のルーツが満載!それを受け継ぐハピネッツを泣いたり笑ったり叱咤激励しながら追いかけていきます。
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【バスケットボール】

当初,桃を入れる〈かご〉をゴールに用いたことから,この名称となった。そのため日本でも,かつては〈籠球(ろうきゆう)〉(または〈籃球(らんきゅう)〉)と呼ばれた。また,初めはbasket ballと2語で表していたが,1921年から今日のようになった。引用https://kotobank.jp/word/%E7%B1%A0%E7%90%83-662537

もちろん秋田県内在住で、地元にプロバスケットリーグが発足してからのファンであります。ハピネッツの最新情報等、有意義にお伝えしていきます。※ところで凡事徹底とはなんでもないような当たり前のことを徹底的に行うこと、または、当たり前のことを極めて他人の追随を許さないことなどを意味する四字熟語であります。分かりやすいのはイチロー選手の努力でしょうか?試合に出る出ないにかかわらず同じ準備を黙々とこなす。ハピネッツの凡事徹底はなんでしょうか?またあなたの凡事徹底はなんですか?

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【2022~23】秋田ノーザンハピネッツの通信簿!

29勝31敗東地区4位。勝率0.483 首位千葉とのゲーム差が24。ケンゾーHCの離脱でケビンHC代行が指揮を執った。秋田は3Pシュートに勝機を見出す戦いを演じたが、その確率はチーム全体としては低かったのが誤算。またカンター選手のケガ&スランプ、田口選手、古川選手のシューターのケガでゲームプランが大きく狂ってしまった。競う展開を勝ちきれなかったり、点数が開いても逆転されるゲームもあり、課題のオフェンスが改善されることなく、もやもやしたものが残った。

今シーズン(2023~2024)の注目点~未来への展望

前田顕蔵ヘッドコーチ2025-26シーズンまでの3年契約決定!
本人コメント
2023-2024シーズンから3シーズン秋田でヘッドコーチを指揮させて頂く事になりました。
クラブ、水野社長には私の家族に対しての配慮、私自身にかけてくれる想いに感謝しております。
大きなチャレンジにはなりますが、多くの方が家族を支えてくれる秋田でしかこのチャレンジは出来ないと思っています。
誰と勝つのか、どこで勝負するのかというのは私自身にとってとても大切な事です。
秋田ノーザンハピネッツで自分自身が挑戦して、皆さんの心が熱く、そしてワクワクするようなチームを作りますので、是非会場にて熱い応援宜しくお願いします!
引用:https://northern-happinets.com/news/detail/id=17646
現在、ストーブリーグ中につきしばらくお待ちください。

ロスター決定

#00 スティーブ・ザック [C] 
#1  王偉嘉 [PF] #2  藤永佳昭 [PG] 【新加入】
#5  田口成浩 [SG] #6  赤穂雷太 [SG/SF] 【新加入】
#8  ロバート・ベイカー [PF] 【新加入】
#11 熊谷航 [PG] 【新加入】
#17 中山拓哉 [PG/SG] #20 小栗瑛哉 [PG] #21 長谷川暢 [PG] #24 保岡龍斗 [SG/SF] #30 ジェフリー・クロケット [PF] 【新加入】⇒契約解除
#51 古川孝敏 [SG/SF]

ハピネッツ侍ハピネッツ侍

B1はどれだけ守備に努力しても得点を許してしまう。そのまま相手に(試合を)支配される可能性がある。ですから、常にオフェンスの向上をどう図り、戦術も含めて検討する必要があると思う。
秋田は相手に難しいポジションでのシュートを打たせても成功されたり、オフェンスリバウンドを奪いたいと考えても、リバウンドを奪われて得点されたり、、、。
選手の実力や身長の差によって得点を許す場面が多かった。得点を挽回しないと試合に勝てないことを痛感した。

秋田は2人の外国籍選手を入れ替えた。カンター選手、キッド選手は過去の実績では十分なのだが、B1リーグでもそれぞれ明暗が分かれた。中でもカンター選手の不調やスランプは計算外だったろうか?キッド選手も上位チームのマークが厳しくなるとスコアを伸ばせなかった。

なので今シーズンの外国籍選手はりバインドやパスが得意のザック選手と継続。さらにロバート・ベイカー 選手、ジェフリー・クロケット選手のいわゆるバネ系の選手を招き入れた。

インサイドアタックやシュートブロック、3Pシュートも打てる。躍動感あふれるスピードは魅了するだろう。さらにそれを生かすポイントガード5人の存在が実に頼もしい。

中でも信州から加入した熊谷航選手。変幻自在のパスでアリウープ祭りを演出してくれそうだ。

昨シーズンの反省で競う展開からの負けパターンや得点がとれないクォーターを改善し、是非とも強豪に競り勝つ試合を何度もみたいものだ。

【B1】2023-2024シーズンは24クラブ
東地区:北海道、仙台、秋田、茨城、宇都宮、群馬、千葉、A東京
中地区:SR渋谷、川崎、横浜BC、富山、信州、三遠、三河、FE名古屋
西地区:名古屋D、京都、大阪、島根、広島、★佐賀、★長崎、琉球
(★印が昇降格)
B2からは佐賀と長崎が昇格した。今シーズンは勝率が低いチームは2チーム自動降格になる。プレーオフはない。

ケンゾーHCからひと言

高いお金を出してNBA経験のある選手を取ってくるとか、そういうことには全く興味がないですね。秋田がやりたいことに合う選手であれば大丈夫です。

スコアラーを取って来るのは簡単ですけど、それじゃ面白くない。日本人選手が活躍しないと面白くないし。あとはコロナで勉強できる時間、分析できる時間、準備できる時間はたっぷりもらえました。いろいろ新しいことに取り組みますが、リスクは全くなくて、それはディフェンスという土台はもうあるので「ダメだったら守ればいいよな」と思えるからです。

オフェンスもディフェンスも秋田にしかできないバスケをするつもりです。ディフェンスの強みを最大限に生かしたオフェンス、これは秋田にしかできないものなので、そこをまず見てほしいです。あとは秋田の成長の過程を見てください。良い時も悪い時もあった昨シーズンから、今シーズンは本当に強いチームになろうとしています。

秋田の人たちはいつもノーザンハピネッツを見てくれますし、一緒に戦ってくれるので、あらためて言うことがないですね(笑)。今シーズンは秋田以外の人たちにも、「これが秋田のバスケットだぜ!」というものを見せたいです。秋田にしかできないバスケットというのは秋田ブースターありきです。会場の雰囲気や一体感は、他のチームのブースターの皆さんにも是非見てもらいたいです。
引用:https://basket-count.com/article/detail/51915

ハピネッツでどうしても見たい!攻めるディフェンスバスケの完成形を!

中国発新型肺炎の影響でbリーグが中止になり、はしごを外された感がありますよね?今季のハピネッツ選手はペップで築いたディフェンスを進化させて、チャンピオンシップ出場という目標を掲げてチャレンジの最中でした。
昨シーズンは東地区トップ3に勝てませんでしたが、宇都宮、A東京、川崎に勝利しています。
また新たに若い選手が加わり選手層が厚くなりましたし、ますますどんな戦いを仕掛けてくるのか?目が離せない状況です。
さあ、ここから秋田ノーザンハピネッツの新しい挑戦が始まります。B1復帰後の東地区の激戦区では思うようなバスケットが出来ませんでした。TOP3に一度も勝利出来なかった課題を克服しましたし、一体どのような戦いを見せてくれるのでしょうか?

気になるのは「攻めるディフェンスの完成形」です。しかし、見てみたいですよね?ハピネッツが本当に台風の目になり、強豪相手に勝っていく姿を。黄金時代の幕開けを。なぜなら秋田ノーザンハピネッツには堅守速攻が良く似合うのは秋田いすゞ自動車バスケットボール部や能代工のバスケに精通するから。秋田県民は良く知っています。この思いは未来永劫絶えることはないでしょう。だからこそハピネッツ選手に置かれましてはディフェンスのプライドも永遠不滅でありましょう。

この先もハピネッツには苦難困難が出てくるでしょう。でも今のハピネッツに必要だから出てきたのです。それを受け入れて乗り越えていかないと成功を掴み取ることはできません。選手はプロである以上、得意の時に有頂天にならず、不調の時に失意の底に沈まず、常に淡々と「努力する」ことを求められます。厳しいですがチヤホヤされ出したら要注意!思い通りにならない時腐ったら負け、そこで終わり。花が咲かない時は根を伸ばすのみ!耐えて、もがいて、粘って根を伸ばしていれば、たとえ小さくともきれいな花が咲く。

「志」があり、「継続する努力」があり、そして、精神的に耐え抜く「忍耐力」があれば、「原因・結果の法則」によって、必ず何らかの成果は出てきます。

そのためにはまず、「凡事徹底」が重要です。とりわけハピネッツは激しいディフェンスのチーム(要肉体改造)を共通項にし、その上で個人に置いてもいつも当たり前にできる武器を磨くこと。それをチームプレーで40分間発揮出来る事。相手の仕掛けに翻弄されても、ヘッドコーチやチームメイトの声を聞き、後半は修正できる柔軟な対応力を展開できること。

いつもそのことに意識して練習し鍛え、試合で実践を重ねたら史上最高のハピネッツが見れるかもしれません。いつもチャンピオンシップに名を連ねる姿を、、、。その先のB1優勝をぜひ見たいものです。

それまでは、確かにハピネッツとて、選手の移動はあるでしょう。寂しいけれど秋田を一番知っている選手との別れもあるでしょう。契約更新で一喜一憂するし、自由交渉選手リスト、新しいチームからの移籍、ヘッドコーチも変わるでしょう。されどいろんな選択肢で迷っている選手諸君よ!オファーがどんな形であれ届いたのなら、一度は秋田のクレイジーピンク、ピンクの勝負服を着て欲しい。トップ3を倒すロマンを共有し、ブースターの大声援の包まれ感を味わってほしいと思います。

それがきっと、縁あって集ってくれた選手の人生の財産の一つになるように、秋田県民はしったげ(とっても)、声を出し続けるから。だから後は、途中で諦めないで力を出し切る作業のみです。是非ともバスケ王国の地秋田に記憶に残る選手になってください!

秋田にはBリーグ史上初、日本一の練習拠点秋田ノーザンゲートスクエアが誕生!

2019年の12月には、秋田駅東口の開放型体育館B1秋田の練習拠点「秋田ノーザンゲートスクエア」が完成。ハピネッツの練習拠点になります。3階建てでバスケットボールコート2面と移動式の客席が設置されるほか保育施設やテナントのスペースもあります。同時に体育館に隣接した敷地に整備する学生向けマンションを「ディークレスト秋田駅前」、合宿所を「秋田ノーザンゲート トレーニングキャンプ」となり、とりわけバスケの環境が一気に整います。

さらにね、たしか近くには選手の万が一のケガに対応するべく、入院・手術・リハビリの設備が整う、城東整形外科医院がありますし、選手のマウスピースや口腔ケアをサポートする城東歯科クリニックもあるので、健康面でのサポートもしっかりしています。※(実際に選手が使用するかはごめんなさい、未確認ですがいずれにしても地域一体となった、素晴らしい環境であることには変わりはないと思います。)
んだから、、、こいなー(来なよ)!!秋田のお米、魚、肉、はらつえぐ(お腹いっぱい)なるたけ(くらい)、けぇ(食べて)!うんめぐでぇ、こでぇらいねぇー(おいしくて大満足)から。(するので)
それがハードワークを生み出す無尽蔵のスタミナの源なのですね。

秋田ノーザンハピネッツの凡事徹底の中に守りの中の攻めがあることに気づけ!

①特にゲーム出だしのエナジーを発揮する⇒特にゲームの入りで判断が遅いと、不用なパス回し、迷いのシュートが増えオフェンスのリズムが低下し、相手のディフェンスに時間を与えてしまう。シンプルにゴールに向かう強い気持ちを継続しつつ仕掛けを早くしたい。
②激しいディフェンス&リバウンド⇒外角シュートの精度が低いハピネッツはリバウンドを支配されると一方的に走られてしまう。またワードワークゆえにファールが増えるので、各自ファールコントロールは絶対です。
③ターンオーバーを最小に⇒ミスはほとんどターンオーバーの多さと直結している。パスミス、フリースロー、トラベリング等。スチール成功も帳消しになってしまう。

基本動作の部分を、徹底的にやる精神が失われてくると、仕事(プレー)がずさんになってミスが増えてくるわけです。勝つためにやらなければならないことを最初からきちっとやっていくことが大切で、自分も周りも煩わせないレベルまで到達していくこと。

そのためには「毎日毎日をどのように過ごしているか」を振り返る習慣が必要です。「何かを一歩進めたか?」を常に振り返る訓練とそれを継続させることが大事。その進歩が継続していくことが大きな成功を必ず生むことになります。バスケに限らず一流のアスリートはそんなルーティンを必ず持っています。

そして一番怖いのはすぐに出来上がってしまう天狗の心、慢心です。「オレがオレが、俺様状態」それになりやすい人は大目標を持っていなく、小さな目標しかないので目先のものが完結してしまえば、あとはない。向上が止まってしまう。(天狗は芸の行き止まり)ですから大きな志を常に持ち続け、小目標と、大目標を明確化して、日々向き合ってほしいです。嫉妬心や競争心もあるのかもしれませんが、せっかくプロバスケ選手の環境にいるのですから、勿体ない。秋田に、日本国民に、そして世界にも感動と勇気を与えられる記憶に残る選手になってください。(例えば、小目標は先発に入る、二ケタ得点する、アリーカップ制覇、天皇杯決勝、大目標はCS出場してCS優勝、日本代表、NBA、目に留まる選手、個人タイトル、県民栄誉賞、ハピネッツの黄金時代幕開けメンバー、語り継がれる選手とかかな?)

さらにメンタルの部分では、たとえシュート精度が上がらなくても、以上の3つを信じてプレーすれば必ずハピネッツの時間がきます。逆にそれが実践できない時は信じられないほどの点差になってしまい、B1定着の不安に陥ります。このギャップは「勝つんだ!」という強い気持ちの持続でなんとか克服してもらいたいですね。

そうしながらまずは心底、チームとして熟成が進み、金足農みたいに、バスケットIQが高いかもしれないタレント軍団に勝ち切る姿を見たいです。

元の秋田メンバーがいる、東京A(安藤誓哉)千葉ジェッツ(富樫、田口選手)富山グラウジーズ(レオライオンズ)との対戦も楽しみです。もちろんB2に追いやった横浜ビー・コルセアーズも。とまあ、、、、好きなことを言いましたが、自分なりに独自の目線でお伝えしていきますので、ご期待ください。
以下は懐かしいペップの開幕前のコメントです。

ペップHCは「新加入、従来からの選手が半々。自分のシステムに対する理解度に差がある」と認めたうえでこう話した。「チームを良くする方法は2つある。一つは練習で努力すること。もう一つは新しい戦手をいれること。自分のやり方は努力することだ。練習でチームを良くしていきたい」
年齢相応に「成功」も変化する

若いときには、いろいろと悩んだり、スランプがあったり、劣等感で苦しんだりして、選手としては一流ではなかったけれども、その分、人生の辛酸を嘗め、多くの人たちの気持ちが分かるようになった人には、“名監督”になっていくような面があったりします。「管理職年齢」以降の成功においては、一般に、若いころの成功とは違ってくるところが大きいのです。

ハピネッツはイイ選手揃えたな!By中村和雄

スラムダンクの聖地!なぜ秋田にハピネッツがあるのか?

バスケ王国のゆえんたるや、歴史が証明しています!日本各地見渡しても秋田の地はしったげ、とびぬけてますよね。改めまして、先人の熱き想いと行動に感謝申し上げます。それはバスケット界にとどまらず、秋田に縁を持つOB様は他団体競技においても素晴らしい指導力を発揮しています。

チームを運営する秋田ノーザンハピネッツ株式会社は2008年(平成20)水野勇気社長(35)と高畠靖明・元専務(41)が中心となって発足させた「秋田プロバスケットボールチームを作る会」が前身。2人とも県外出身者ですが全国優勝58度の能代工業や1984(昭和59)年の全日本総合選手権を制した秋田いすゞなど、トップレベルのチームを生んだ秋田県でのプロ球団創設に可能性を感じた。作る会は2009(平成21)年、秋田プロバスケットボール社として新たなスタートを切り、チームは同じ年にbjリーグ参入が認められた。2016(平成28)年からはNBLとbjリーグが統合したBリーグで戦う。熱心なファンに支えられ、リーグでもホーム戦の有料観客比率は上位です。2020年に売り上げ10億円を目標に一層の観客増とスポンサー開拓、グッズ販売促進など収益力を強化する。
「秋田への愛着や秋田を誇りに思う気持ちがあってもそれを表現する場所が少なかった。その思いを応援という形で表し、全国に向けて発信できるようになった」と水野勇気社長はハピネッツの存在意義を語った。
ハピネッツはbjリーグでは2013~14、14~15年準優勝。Bリーグでは16~17年東地区5位で残留プレーオフで敗れB2に降格決定。17から18年でB2で準優勝してB1復帰を決めた。引用:秋田魁より

秋田いすゞ自動車バスケットボール部

昭和30年に設立されたこの団体は、地方都市の企業チームでありながら、その実績から日本リーグ2部に所属していました。そして昭和59年、全国のバスケットボールクラブが競い合う大会で、2部リーグの中でも優れた成績を収め、優勝を果たしました。

その後、1部リーグに昇格し、リーグでの優勝回数は6回、全国選手権(オールジャパン)でも6回の栄誉に輝いたのです。驚くべき実績ですね!

ただし、昇格後にはチームがいすゞ自動車本社に移管され、チーム名が「秋田いすゞ」から「いすゞ自動車」に変更されてしまいました。秋田の名前が取られ、それは非常に残念な出来事でした。

その後、本社の経営再建の影響を受け、平成14年にはチームが廃部となりました。このチームにはかつて活躍した名選手たちがおり、例えば元ハピネッツヘッドコーチの中村和雄や、元能代工業監督の加藤三彦などがその中にいます。

秋田いすゞで活躍した外国籍選手

昭和56年~57年:ラボン・ウイリアムス選手:2部ベスト5(15回)
昭和57年~58年:ジャック・ギブンス選手:2部MVP(17回)、2部ベスト5(16、17回)、2部得点王(17回)
昭和58年~平成2年:テッド・ヤング選手:MVP(22回)、ベスト5(22回)得点王(19回)、リバウンド賞(18、19回)

語り継がれる前人未到の能代工業3年連続3冠


籠球(ろうきゅう)侍が感じたBリーグ観戦のもう一つの素晴らしい効果

Bリーグ観戦は出来ればパソコンやテレビではなく、アリーナで観戦してもらいたいです。その独特の臨場感や一体感はある意味コンサートホールみたいです。退屈な空気なんかみじんもありません。お目当ての選手を近くで見れる現実感はなんといっても幸せなことです。

そしてバスケット選手の激しい動きとボールの行方、その一挙手一投足をつぶさにみるのは、これって眼、眼球の運動にもってこいなのではないでしょうか?

選手は攻守の切り替えで、常にコートをあっちにいったり、こっちにいったり、目まぐるしく動きます。ましてハピネッツのあの動きを、近くでみるだけで、その効果ははかり知れません。

実際に眼の運動やストレッチは素早い移動や、ピントを合わせることで視力回復のために効果があるようです。なるほど、試合が終わったらなんか風景が「くっきり」と見える体験は、ありませんか?私はそうでしたし、帰りの車の運転も疲れなくできました。(試合は負けてしまったのですが)ですので、一度試すにはいいのかもしれないです。参考までに。

あまりにも語り継がれるあの日の出来事

さて2016年Bリーグに統一され、秋田ノーザンハピネッツはB1のカテゴリーにて出発するのですが、その1年で成績不振により、B2に降格してしまいました。

その入れ替え戦での試合はまさに劇的で、横浜ビー・コルセアーズの川村卓也選手が投じた3Pシュートがブザービーター(バスケットボール用語の一つで、ピリオドや試合の終了直前に放たれ、ボールが空中にある間に残り時間が0となり、ゴールに入るショットのことを指す。)で逆転されました。

この時のショックは計り知れないものがありました。それでも秋田ノーザンハピネッツは這い上がりました。明確な哲学を持ったペップHCのもと、B2を勝ちまくり、入れ替え戦で熊本ヴォルターズ勝利して見事1年でB1復帰となりました。去年とは全く逆のシーンになりました。まさに地獄から天国!

決して忘れてはならないB2降格の原因

あんなに地元のブロバスケットチームとして期待され、盛り上がりチームを構築しても勝てなかった、いや勝ち続けることが出来なかった原因があろうかと思います。もちろん負けを引きずることはしなくてもいいのですが、きっちり教訓を掴んでいかないと反省が生きません。

ハピネッツだって過去、東京Aにも栃木にも千葉にも勝っています。でも勝ち切れず連敗を許してしまう。いわゆる負けパターン。ヘッドコーチ一人に責任を押し付けることはできませんが、戦術の徹底や哲学が浸透しきれなかったのではないかと思うのです。時々リバウンドを頑張って、リードしていても逆転され、勝ち切れない。外国人を入れ替えても連敗が続く。そんな試合はホームでさえ、試合途中でブースターが席を立ち帰ってしまうシーンもありました。第4クオーター途中でぞろぞろと帰るのです。これはブースターの意思表示でしょう。

きびしいかもしれませんが、こんなことはプロと名のつく競技、サッカーや野球でも同様です。ハピネッツはB2降格を受け入れてから、すべてゼロから創るしかなかったのは、ご承知の通りです。水野勇気社長も頭を丸刈りにして決意を新たに再スタートを切ったのです。

安藤と田口がまさかの移籍?B1昇格から新体制の歩み

新チーム体制も劇的な変化がありました。もちろん、選手の引退や移籍はつきものですが、ハピネッツがB2で戦っている時に安藤誓哉選手は期限付き移籍の契約で東京Aでプレーしたのですが、期限満了となっても、秋田に戻ることは叶いませんでした。その年に東京Aは優勝しましたし、彼も彼なりに思う所があったのでしょう。「俺の居場所はここだ!」ですが大人としての判断は、まずは一旦、秋田でプレーで恩返しをしつつ、シーズン終了後に意思表示をしても、なんら遅くはないのです。と勝手ながら籠球(ろうきゅう)侍個人の見解です。だって心底、川村卓也選手のブザービーターのかたきを3Pでとってくれるものだと思っていましたからー。それが侍魂ではないですか?彼のセンスはピカ一で何度も窮地を救ってくれたし、もっとハピネッツでの活躍が見たかった籠球(ろうきゅう)侍はガッカリした瞬間でした。それでもアゥエーで安藤選手が秋田に来た時は、秋田のブースターは彼を温かく迎えることでしょう。

さらに激震は続きます。秋田県出身の唯一の田口成浩選手が千葉ジェッツに移籍を表明したことです。彼は秋田のブースターを心底愛していましたし、人一倍責任感もあり、地元の人気者でした。しかし彼はこの環境を良しとしませんでした。さらに厳しい環境を選び去って行ったのです。そんな彼は千葉でも活躍します。(2018年9月現在)先のアーリーカップでは見事、3位決定戦ではニューヒーロー賞で、「オイサー」を初披露しました。

【以下のコンテンツはB1復帰後の懐かしいコメントです】
また秋田にも7人の新加入選手が加わりました。残念ながら東北アーリーカップでは連覇こそ逃してしまいましたが、選手間の連携不足解消に猛練習を行っています。ペップHCの求めるディフェンスとオフェンスを習得しようと、熱い汗を流しています。

秋田が交渉を進めた中にはB1で実績のある選手もいたが、ペップHCの求める水準に満たず、獲得を見送ったケースもあった。水野勇気社長は「B1での実績よりディフェンスが出来る選手を!」ということ。結果的にペップHCが取りたい選手がそろった。

田臥勇太選手から秋田で過ごした平成時代の思い出メッセージ

平成8(1996)年、横浜市の中学から能代工業高校のバスケットボール部に入りました。高校3冠を3度達成し、どの試合も割と覚えていますが大好きなバスケを仲間と出来た楽しさが一番の思い出ですね。入学前に何校から誘われましたが、練習に参加したのは能代工だけ。「走るバスケ」は自分の得意なプレーを生かせると思いました。ボールへの執着心を持つことなど、自分のバスケの原点は能代工にあります。
能代はいい意味で田舎。いつ行っても懐かしい。自分には新鮮で集中できた。「バスケの街」と言われること自体凄いと思ったし、大勢の市民に応援される環境でプレー出来たことには今でも感謝しかない。
今は栃木のチームにいて、秋田ノーザンハピネッツと対戦する側ですが、秋田の人が熱く応援する姿を見ると、こちらまで嬉しくなります。バスケ界を盛り上げたい気持ちは同じ。令和が若い選手の活躍で日本のバスケ界が盛り上がる時代になって欲しいし、自分も1年でも長くバスケ人生を送りたい。引用:2019・4.26秋田魁

富樫勇樹選手が「秋田時代が、今の僕をつくった」訳とは

「『勇樹は小さいのだから、オフェンスで結果を残さなかったらコートに必要ない』と言われ続けました。だから、入る入らないに関わらず打てるシュートは全て打ってきました。とにかく、シュート・シュート・シュート! 結果として、今のチームや代表のコーチも評価してくれている通り、シュートを打つスタイルが僕の一番の長所になりました。シュートの成功確率はメンタルの持ち方ですごく変わります。技術面だけでなく、精神面も鍛えてくれた秋田時代が、今の僕をつくってくれたと思います」引用:https://number.bunshun.jp/articles/-/839075?page=4