吉田輝星10奪三振!ストレートが復活し変化球も低めにいよいよ覚醒か?

7月3日、日本ハムの吉田輝星投手が2軍横浜戦で今季初勝利を挙げました。甲子園での活躍を思い出させるストレート中心の力強い投球は見ごたえ十分。

コロナ禍でプロ野球も出遅れた感があるが、高卒の吉田投手もある意味勝負の2年目だ。そろそろ結果を残さないと、ずるずる2軍定着しかねない。

才能は確かにあっても開花できない選手、プロでは恵まれない選手はいっぱいいると思うのだが、努力の質をしっかり踏まえて実践するのが本物の才能なのだろう。

その一握りの世界にいよいよ踏み入れた感があります。

リラックスしたモーションから繰り出される速球は、急速こそ140キロ代ですが、伸びていく感じは彼の本来の質である。なので安心して見ていられた。

加えて、低めの変化球が効果的だ。カーブ、フォークボールが切れ良く低めに落ちると打者はたまらず手を出す。

吉田投手の投球フォームもストレートと同じなので、タイミングが取りずらいと思う。

そしてまた忘れてはいけない存在に、吉田投手の投球を引き出す捕手の存在、入団1年目の梅林優貴選手。

大学4年間は中国地区大学野球連盟2部リーグ(当時)に加盟する広島文化学園大でプレーした。中央では無名だったが、広島県・高陽東高校時代から名将たちの間では一目を置かれていたという。

「高陽東高の監督が三原新二郎さんでした。三原監督は広陵、福井工大福井、京都外大西を渡り歩き、甲子園でも活躍された名将です。その三原監督が『肩が強い』『マジメ』と絶賛していたんです」(アマチュア野球担当記者)

だが、他のエリート球児と異なる野球人生が始まったのは、大学に進んでからだった。

授業終了後、野球部の練習をこなし、その後、トレーニングジムへ。ここまでは普通の体育会学生と同じだが、梅林はその後、深夜の清掃アルバイトをこなしていた。授業も休まなかったという。3年生になると、授業のコマ数も少なくなる。時間が空けば、アルバイトを掛け持ちした。

「野球の練習もしっかりやっていました。大学に入学した当初は体重60kgのヒョロヒョロでしたが、80kg台の逞しい体になりました。短い時間で効率よく、より効果的に練習することを考えてきたからです」(前出・記者)

梅林には奨学金を学費に充てていた苦学生という一面もある。彼の下に妹がいるため、「家族に金銭面で迷惑を掛けたくない」と思い、アルバイトをこなしながら、学業と野球を両立させてきたのだそうだ。引用https://asagei.biz/excerpt/17962

吉田投手も雑草軍団の金足農業時代はいろいろ苦労をした経歴がある。けっしてエリート街道まっしぐらではなかった。

この二人のコンビは息もぴったりなので、これからの活躍に注目したい。まずは2軍でもっと経験を積んでほしい。

吉田投手はゲームの序盤に得点をとられて自滅のパターンが続いていた。なのでキッチリ修正をして勝ち癖を付けてほしいと思う。

この日のように自信をもっての投球なら1軍での2勝目はもうすぐだ!!

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