田臥勇太選手が今だから語る能代工業への想い!校名変更直前最後のウインターカップへ

2020年、12月23日、高校バスケットのウインターカップが始まる。高校生にとってはコロナ禍の影響で、高校総体は中止になっていたので最後の試合になる。

我が能代工業も、校名変更前の最後の戦いになる。少子化の波を受けて学校統合を余儀なくされて、校名が能代科学技術に変更される。

校名を残す、残さないの議論は白熱し、確か、署名活動まで発展した?記憶もある。自分としては残してもらいたい気もしたが、時代的には仕方のないことなのだろうか。

田臥勇太選手は言わずと知れた、能代工業が生んだレジェンドだ。

1980年生まれ。神奈川県出身。横浜・大道中で全国3位に入り、秋田・能代工高に進学。1年生から先発入りし、高校総体、国体、ウインターカップを独占する3冠を3年連続で達成した。2004年には日本選手として初めてNBAでプレー。08年から宇都宮(当時はリンク栃木)に所属。173センチ、73キロ。
引用:https://www.asahi.com/articles/ASNDM5CMGNCZUTQP00D.html?oai=ASNDQ5RHCNDPUTQP024&ref=yahoo

校名が変更しても、輝く歴史は変わらないし、数多くの卒業生の実績もしかり。OBらは全国に広がっている。その指導力は様々な方面へ影響している。

なのでフェイクニュース等も無縁であって、実績はNO1は揺るがないだろう。

現在の高校バスケは留学生によるところの戦力が充実しているところが、上位に名を連ねている。全国から有名高校に集まる。かつて、外国籍選手はいなかったとしても、「能代でバスケをしたい!」と志願した中学生も多い。

いまは出身地は東北が多いと聞く。まあ、いたって地元の選手。そうした選手を鍛え上げ、強豪に立ち向かうプレーは、バスケファンの胸を熱くする。

ああ、能代工業魂は不滅なのが、手によるように理解できる。

2020ウインターカップ県立能代工業ラストゲーム

九州学院はオールコートプレスをかけ続け、ハーフコートになれば効果的にゾーンディフェンスで能代工を苦しめ、オフェンスリバウンドを支配。攻めてはエース中野が「(福岡大学附属)大濠や報徳(学園)と練習試合をしても通用していた」と自信を持っていたドライブやピックを使った攻めを中心に第4クォーター開始から13-0のランで一気に加点。

 残り5分に九州学院が69-67で逆転すると、接戦になりながらも最後まで走り切って突き放し、77-72で熱戦に終止符を打った。第4クォーターのスコアは25-8。能代工業はトータルリバウンドで45-29本と上回りながらも、18本もスティールされ、ターンオーバーは相手の7に対して25と終盤の消極的な姿勢が致命傷となった。

 九州学院が見せたプレスディフェンスと終盤の猛攻は、まるでかつての能代工業を見ているかのような躍動感があり、能代工業のお株を奪う粘り強さで2回戦へと駒を進めた。
 
 能代工業の小野コーチは「今年の3年生は個の能力が高く、シュートがうまい選手が揃った代でしたが、いいときとダメな時の差が大きく、ダメなときは個に走ってしまう傾向がありました。秋田県予選でもそうだったのですが、すごい力も発揮するけれど、後半にスローダウンしてしまうところがあり、そこを私のほうで立て直すことができませんでした。大会前には能代工業の名前が変わるという注目が大きくなり、もしかすると選手たちは目に見えないプレッシャーを持ちながらプレーしていたのかもしれません……」と敗因を語る。

 司令塔の大石は「もう一度、強い能代工業を復活させるつもりでこの1年やってきましたが、負けてしまい本当に悔しいです。相手のゾーンは対策していたのですが、プレッシャーに煽られて気持ちで逃げてしまい、弱気になったのがいけなかった」と肩を落としながらも、「来年に学校名が変わっても能代工業のプレースタイルは変わりません。(高橋)裕心を中心に今年よりもレベルアップして走って勝ってほしい」と後輩に託した。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/a4ce659d70049a67aabb379ef3bf2f4e864c5cbb

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